コトノハ|編集と出版

コトノハメディア135 コトノハがわかる

連載「コトバの立ち上がる場所3」書き手の発掘

某月某日、新宿へ行く。
新宿へ行く時は、いつもK書店地下の旅行書コーナーへ行って『街の手帖』の担当者と会うことにしている。
大体、印刷所へ入校し終わった日の翌日から、書店のある街へ繰り出す。

『街の手帖』を創刊した当時、いろいろなごたごたがあり自分は弱っていて、ただ街をぶらぶらと歩き、気に入った店に入るという日々を送っていた。
当時は個人的理由で芸術や音楽が嫌になったし、自分の好きなものに対する疑いもあった。
つまり、自分は方向性を変えようとしていたのであった。

だから、なんてことはない街をぶらぶらすることで、そのなんてことなさの中に、希望を見出そうとしていたのだった。
それは赤瀬川原平のトマソンの箸にも棒にもひっかからないものだ。
新たなジャンルを確立する必要にせまられていた。

新宿のK書店に行く前に、東口地下にあるベルクで一杯ビールを飲む。
そこで喋りに油が乗ってきてからK書店へ行き、本を確認した後、伊勢丹を見てまわってから、3丁目の小さな居酒屋へ入る。
なんてことはない居酒屋。店内には演劇のポスターが貼られている。

演劇のポスターを見ていると、ゴールデン街へ行きたくなった。
だが、一人で行ったことはないので、少しためらう。
そんな気分になったら、もう1杯ハイボールを飲み干す。そして強引に自分をゴールデン街へ歩ませる。

もう何十年も前、北新宿の方に小さな広告代理店があった。
そこの部屋が余っているというのを知って人から紹介してもらい、会社をやめたばかりのデザイナーのSを口説き、雑誌編集部を立ち上げたのだ。
そこは、小さいといっても、70平米ほどあった。
そこに2人のデザイナーとコピーライター、イラストレーターと社長がいた。
その部屋の一番奥に、6畳ほどのスペースが空いていた。
菓子折りを持って、「こんな雑誌をつくりたいんです」と熱く語った。
翌日から、社長は若かった僕らに「冷蔵庫のビールを絶やさないこと」という条件を付けて無償で居候させてくれたのだ。
1年間ほど。
いま考えれば、若手に希望を与えてくれた社長だ。

あれから数十年後、そんな過去の記憶を反芻しながら、花園神社を通り過ぎて、ゴールデン街へ向かう。
ゴールデン街にあるTというバー目指して。

以前、知り合いの元文芸編集者から、Tのことを教えてもらったのだったけれど、バーが苦手だったその当時、そんな店もあるんですか、と聞き流していた。
そんなTのことを、ゴールデン街に行く段になり思い出したのだった。

店に入ると、カウンター10席ほどで、客は6人。
通されたのは一番奥の席。
座ってまたハイボールを頼むと、カウンターの中にいる女子から「はじめてですか?」と聞かれる。
「はい、知り合いから教えてもらって」と答える。
隣には、カウンターの女子と仲良さげな女子。

はじめて行った店で、取材のように根ほり葉ほり話を聞いてしまうと怪しがられる。
気を殺してしばらく静かに酒を飲む。
まずは場の空気に身を浸し、なじむことが大切だ。

しばらくすると隣の女子が話しかけてきた。
話をしていると、池上線沿線のシェアハウスに住んでいることがわかった。
しかもサブカルが好きな臨床心理士。
だめ連のことも知っていた。
新たな書き手の発見である。
それが、「街の手帖28号」で「小さなこえをきく」を書いた河村さんだ。

多分、その後店を出たぼくは、うっすら笑みを浮かべながら山手線、池上線と乗り継ぎ、洗足池に帰ったのだろう。




針谷周作
編集出版会社「コトノハ」代表。
池上線のローカル文化誌『街の手帖』編集長。
30代は、ヨーロッパのアーティストやニューメディア研究機関等を取材。
最近は、全国各エリアで人口が一番少ない村を取材する。

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